2009年11月 2日

熊野古道

これらの多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として

ユネスコの世界遺産(文化遺産における「遺跡および文化的景観」)として登録された。なお、その登録対象には紀伊路は

含まれていない。

このような「道」が世界遺産として登録された他の例には、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(文化遺産、

スペイン)がある。道が世界遺産として登録されること自体はまれである。

熊野古道の遺構の特徴として、舗装に用いられた石畳が残っていることがある。石畳が用いられたのは、紀伊半島が日本で

も有数の降雨量の多い地域だからである。また、江戸時代に紀州藩により整備された一里塚が残っている個所もある。

ちなみに、熊野古道の中には、国道や市街地のルートと重複していて吸収されてしまったものもある。こうしたことが生じ

るのには紀伊半島の地理が関係している。すなわち、紀伊半島の中央部は、際立った高山こそないものの、どこまでも続く

山々と谷に覆われている。このため、古来より交通開発が困難であり、交通路に適する場所は限られている。現在もこの事

情は同様であり、結果として、現代の主要な交通路は古人の拓いた道に並行し、さらには上述のように重複することとなる

また、世界遺産に登録されたものが熊野古道の全てではないことにも留意する必要がある。これは、熊野詣それ自体の盛衰

もあって正確なルートが不明になっている区間があること、歴史的な変遷から生じた派生ルートがありそのすべてが対象と

なっていないこと等による。なお、そうした「忘れられた」ルートを再発見しようとする地元の動きもある。

歴史
熊野周辺は、日本書紀にも登場する自然崇拝の地であった。

907年の宇多法皇の熊野行幸が最初と言われる。

熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白河上皇の熊野行幸からと言われている。白河上皇

はその後あわせて9回の熊野行幸を行った。これにより京都の貴族の間に熊野詣が行われるようになった。その後、後白河

上皇も33回の熊野行幸を行っている。

江戸時代に入ると、伊勢詣と並び、熊野詣は、広く庶民が行うようになったといわれている。一時は、熊野付近の旅籠に1

日で800人の宿泊が記録されたこともあったようだ。

明治維新後、神仏分離令により熊野古道周辺の神社の数は激減。熊野詣の風習も殆どなくなってしまった。

熊野古道自体は、大正から昭和にかけて国道が整備されるまで、周囲の生活道路として使用されつづけた。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
大阪では熊野かいどうと言われているようです。

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